梟が鳴いていました。何気なく聞いていてあっと思ったのが、午前3時半。河童も年に一度は鳴き声を聞くけれども、珍しい。
近くの川に白鷺が朝、夕食時に来ますが、これは近くの動物園から飛んできているようです。
ふと手元のPCMレコーダーを手にして窓のカーテンを開けたら、鳴き止んでしまった。
本当に梟だったのかな。わたしが顔出すのを確認する為に河童が真似をしたのかも知れません。
夜遅くに帰宅する時は河童のいる川縁は真っ暗。該当は川縁の道の入り口と出口にあるだけです。川沿いの道を歩いている間は真っ暗で、川向こうの住宅街の窓の明かりと月明かりが助けになるくらいです。
そこを通る時に耳元で囁かれることがあります。そのような時には、しずかに前をはだけておヘソが見える様にするとしばらくはお腹を撫で回されていますが、やがて解放してくれます。
何時でもというわけではなくて、年に一度か二度。それ以上の要求をされたことはありません。
そしてそんなことのあった翌朝には、窓の傍に届け物があったりします。
熊本は豊臣秀吉の時代に朝鮮征伐(今では差別用語か)に出兵しています。その戦争には河童の働きもあったと聞いています。加藤清正が熊本に帰国するのにもついてきたそうで、末裔の住む川があると聞きます。わたしの家のそばの川は、螢のヤゴも居るために市で保護されています。それで明るい街灯を設置できない事情もあるのですけれども、数年前からは少しだけですが蛍の光が確認されています。
雨が降れば溢れるような流れになりますが、澄んだ清らかな川です。穏やかな時と雨のときは対極的な表情を見せますが、それが自然のままありのままと言う事でしょうね。
だからこそ、河童も遊びに来るのでしょう。
写真は、熊本市上通りのアーケードにある金龍堂書店店頭の河童像。戦前からある老舗書店なので熊本に住んでいた方にはお馴染みでしょう。わたしが学生の頃までは熊本市内の主なところやデパートに支店があったほどなのですが、数年前に東京の大手チェーンの傘下になりました。女性ファッション誌が増えたのは嬉しい限りですし、熊本の情報誌も以前と変わらずに扱っているので安心しています。冷暖房費の節約に心がけた店舗改装がありましたが、店頭の河童像は継承されました。アーケードは各店舗からの冷暖房が流れてくるので、店内にそれを呼び込もうといった発想だったと思います。冬場は寒いと思うことはあるけれどもコートを着ているので本を探すのに支障はない、夏でも店内に入って凍えるような思いをしないで済みます。本屋で涼を楽しんでいた人も減りました。
ちなみに河童とは渡来人を暗に示しているようです。秀吉が朝鮮征伐の際に連れ戻った人たちの末裔で、川縁に済んでいます。加藤清正の治水工事をした人たちでしょう。わたしは巫女時代に年に数度、慰めに伺っていました。幼かったので詳しいことは詮索できなかったし、それはしない方が良いと言われました。素直に応じていれば乱暴なことはされない、わたしに出来る大切な勤めなのだと思っていました。
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