名前があろうと無かろうと、ぶつかりあっていた時代があります。昭和の終わりから昭和30年代は、名前のある人のところにたくさんの人が寄り添いあって復興を目標に動いていた。無名が幾ら声を上げるよりも、俺の名前を使って復興に役立ててくれよという思いの人が多かったのでしょう。昭和40年代。名前のある人無い人の縛りのない時代ではなかったでしょうか。
ビートルズという名前は今ではとても高い位置にあがめられていると思います。でも、ビートルズが来日公演をした時に集まった人たちは、こうした青年たちなんだと感じる認識だったとか。黄色い歓声を上げて、1人が気絶したら自分も気絶しなくちゃと思い女心の共振が狂心に捉えられていくに連れ、伝説化されてしまったとわたしは考えています。
名前があるからと言う憧れや特別意識ではなくて節度を保っていただけ、みんな自分の日常の生活を大切にしていました。その時代に続いて登場したのが、中村雅俊さんたち。吉田拓郎、井上陽水さんたちを経て地震の言いたいことを声高に歌うことにワンクッション入った。
昭和50年代の終わり。バブルに向かって無名の意識が変わった。尾崎豊さんは時代のシンボルになっていったけれども、それはオレが尾崎豊になる。尾崎豊を超えるという"シンボル"だったと感じます。この時代、わたしはダンスフロアーのまっただ中にたっていたので尾崎豊さんの話題、人気は知っていたけれどもラジオで流れてくる歌を聞いたぐらいで好き、嫌いは今でもはっきりしません。
中上健次さんの十九歳の地図という小説があったので、「十七歳の地図」というタイトルはインスパイアされたものだろうという感慨があったのも事実。でも、これプロデューサーの薦めだったようですね。
先週から「俺たちの旅」が水曜日と木曜日の2日連続で放送中。昨日の水曜日の夜は、第30話「ふられ男が旅に出ました」でした。ゲスト出演は檀ふみさん。すらりと細いですね。31話「大嫌いがやってきました」、32話「愛するってどういうことですか?」と3話に出演。じっくりと青春と愛を考えるテーマになっているようです。
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