畏敬していたベートーヴェンの陰に隠れ、ただただ彼の成功を応援する友人たちのためだけに作曲をするだけで存命中は貧乏で薄幸の生涯だった。と言われている彼。歌曲王シューベルトの誕生日が、1月31日です。「僕は作曲するためだけに生まれてきたんだ」とシューベルトは言っていたと言いますが、名声には無頓着だったのかどうか当時は作曲してもたいした値段には成らなかったという歌曲。しかもシューベルトの旋律は覚えやすかったので、耳コピーで街中の人に憶えられてしまって楽譜はとんと商売にならなかったとか。
名盤カレンダー、1月31日のディスクは「Mass in G Major」。ミサ曲と言っても荘厳さよりも敬虔さが表面だった賛美歌みたい。敷居の高さはありません。リラクゼーションをクラシックに求めて聴く人が多い昨今、最もふさわしく再注目される時ではないでしょうか? なかでも闘病の末に復活したアバドの指揮でのCDは、マーラーの録音よりも透明感と説得力があります。独唱者にバーバラ・ボニーさんらが揃っていて、耳障り良く。録音もグラモフォン独特のまろやかさ。再認識されて欲しい度:★★★★
シューベルトの宗教合唱曲は日頃思っているよりも多く残っています。交響曲よりも作品数があるのは、評価を得る可能性が高いのが教会での仕事だったのか?
歌のある音楽は歌曲の延長線としてシューベルトにとってはスムーズに書けるものだったのではないでしょうか。
こんなに純粋で綺麗な曲なのに、教会勤めをすることが出来ないでカフェのメニューの余白なんぞに音符を書き付けなければ楽譜に出来ないほど貧していたのは何故でしょう。ふと浮かんだメロディを書き付けるのに思わずメニューに書いた…というのもシューベルトを応援していた友人たちが後に美しく飾り付けたエピソード。シューベルトの歌劇作品はことごとく未完。この"ミサ曲ト長調"も、歌われている歌詞はミサの典礼文ですがシューベルトの筆が乗ってくるのでしょう。後半に及ぶと熱を帯びたロマンティックな合唱曲と化しています。
シューベルトは14人兄弟の12番目に生まれました。職に思うように付けないので父親が校長をしている学校の教師につくことになりますが、授業も怠りがち。他の先生たちは不平を言わなかったのかしら?いや、その前にお父さんやお兄さんたちがフォローしてしまっていたのでしょう。心優しく人なつっこくて、穏やかな性格だったことはシューベルトが残した音楽に厳しさがないところから思われます。それが詰めの甘い物を作品に感じさせるのでしょう。歌劇も起伏の乏しいダイナミックなところが聴けないので成功しなかったようです。
でもCDからの音楽として癒しをくれるのには申し分なし。ただただシューベルトの美しい旋律に身をまかせていられるだけで楽になっていきます。
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