小川のほとりで - 写真と音楽に小エッセイ

名曲は創ろうとして名曲と言われる物になるのではない。名曲を作ってやろうと奢りがあるうちは駄目だ、無心の境地で創作はするものだ。それはそうだ。でも、名曲を書くぞ、と成功させた男が居た。ベートーヴェンだ。

作曲された当時は大ヒットして名曲史に連ねられている音楽は多い。いや、一時代でも魅了した名曲は名曲だ。言い回しがおかしいので、表現を変えよう。作曲された当時、聴衆を魅了した音楽は、それも名曲だ。現在、それらを聴いても虜にさせてくれる力がある。そう、ベートーヴェンの音楽にはその“引きつける力”が強いから今でも衰えを感じさせないのではないかしら。

風邪のお見舞い頂きました ありがとうございます♡ ( ´◔‿ゝ◔`) お返しの曲は《田園》第2楽章 [写真と音楽]

何百年前に作曲されたものも、数十年前に作曲されたものも、時代の風を受けて登場してきているから現在の耳では直感的に理解できないところもあります。マーラーやショスタコーヴィチは尚更に、社会風潮が今からは感じがたいものでは無いかしら。いや、むしろ200年、300年前のベートーヴェンだから纏っている服装の装飾が取れてトルソーの美が現れているのだろう。

《田園交響曲》。都会の喧騒を逃れて田舎に行った開放感と、土地の人たちの生活を観ての喜びが表現されています。それは懐かしい故郷に帰ってきた感情の演奏であったり、シカゴ交響楽団の数日、数週間の休暇を郊外の農業地帯に遊びに来ての雰囲気を表現したような録音もある。

「となりのトトロ」の主人公家族は、母親の転地療養の為に田舎町に家を借りた。父親は何かの技師のようだ、地方にある研究員に転属したのだろうか。どういう都会に住んでいたのか、主人公姉妹が街ではどんな子供だったのかは分かりません。世話を焼いてくれるおばあちゃん達は親戚でもなさそうだ。母親の為に腰を据える覚悟で来たに違いない。

「魔女の宅急便」のキキは、13歳?、14歳?になって、将来を見つける為に田舎から都会を目指した。「気に入らなければ、他の街を探せば良いわ」と言っていた。でも、パン屋を自分が続けてでも棲んでいくことだろう。

写真は庭先に咲いていた。余りせわしない庭で、季節季節で花を咲かせてる。生前の母が世話をした花々が息づいている。わたしにしてみれば、それを目にするだけで知らない田園地帯に行ったような憩いがある。SPレコード、LPレコードの時折ピチパチと入るノイズもしっかり聴き取ることの出来る環境は気持ちが良い。

 

曲は《田園》から第2楽章《小川のほとりで》 ベートーヴェン作曲

1952年、アムステルダム・コンセルトヘボウでの録音

 

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