一体何が今日の家庭をこれほどに変え、魅力あるものにしているのか - ジョージ・ハリスンの『SAVOY TRUFFLE』の日

発売されたのは1968年11月22日。先日亡くなったリチャード・ハミルトン(Richard Hamilton、1922年2月24日 - 2011年9月13日)のポップ・アートのひとつ、ダブル・ジャケットの両面共が真っ白なので『ホワイト・アルバム』と通称されています。

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パーロフォンを離れて、今ではとてもお馴染みのリンゴをデザインしたラベルが初めて使用された『ザ・ビートルズ』というのが本当にタイトルで、ビートルズの活動5周年を記念するリリースでした。ですので10枚目のアルバムとなる『ホワイト・アルバム』以前のアルバムで、アナログ盤のラベルが“りんご”になっていれば初版盤ではないとまず判断できます。

最初に“りんご”が使用されたのはシングルの『ヘイ・ジュード』(1968年8月30日発売)。2枚組だから充分に『ヘイ・ジュード』も組み込むことが出来ただろうに、不思議なものです。シングルB面だった『レヴォリューション』はアルバム・バージョンとして含まれている。『ヘイ・ジュード』から『ジュリア』へ繋がるようなアイデアなど出なかったのでしょうか。

レコーディングの背景では、この『ホワイト・アルバム』が作られることになる素にはリンゴ・スターの脱退騒動があったのではないかしら。バンド・サウンドの楽しさと言ったら『ヘイ・ジュード』でビートルズは終わっているように、わたしは感じています。この『ホワイト・アルバム』ではメンバーがスタジオを交互に使って録音していたらしいですね。断片的な楽曲と、ポール、ジョージ、リンゴにジョンの個性が出ているナンバーの盛り合わせ。ジョージ・マーティンの存在が大きくて、ケン・スコットとジェフ・エメリックのエンジニアリングの役割があってのできあがりとなった。しかし、サイケデリックやプログレッシブ・ロックがムーブメントとなっていた時代だっただけにリスナーには受け入れられた。

イギリスでは22週チャートにあって、8週連続第1位を記録。アメリカでは65週チャートインで、9週第1位を獲得しています。ラジオ・プレイしにくいレコードでもあったことから、アルバムを買って聴こうと誘導したのが戦略だったのだと考えています。CD時代のリスナーは気がつかないことでしょうけれども、『ホワイト・アルバム』のアナログ盤は、4面すべて曲の区切り・・・バンドが、切ってありません。ラジオ局にアルバムからの数曲、『ホワイル・マイ・ギター・ジェントリー・ウィープス』、『オブ・ラ・ディ、オブ・ラ・ダ』はリクエストは多いものでした。よほどこのレコードを聴いているDJで無いと、適切な頭出しは難しいことだったでしょう。

アメリカのラジオ局は8トラックテープにコピーしたものをオン・エアしていたでしょうが、放送局仕様と言う事で2曲だけシングル・カットした盤がありました。こうした得意なディスクは中古市場でも見ることが無いので、出回ることなく消耗品として廃棄されたのでしょうか。

『ホワイト・アルバム』は1968年5月30日から10月14日の期間を掛けてレコーディング。『ヘイ・ジュード』も、この期間中にレコーディングされて、先行するコマーシャルとしてリリースされました。

ジョージ・ハリスンの『SAVOY TRUFFLE』は1968年10月3日にレコーディングされました。

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Savoy Truffle recorded on this day, 3rd October 1968 via beatles.com

 

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